福岡県に「博多市」はない?
福岡県には29の市がありますが、その中に「博多市」は存在しません。これは福岡県外の人からすると意外に感じるかもしれませんが、地元の人には常識です。
しかし、新幹線の終点は「博多駅」ですし、観光名所も「博多」という名前が多く見られます。なぜ「博多市」はないのか、その歴史的背景を紐解いていきましょう。
なぜ「博多市」は存在しないのか?福岡と博多の歴史と市名論争をわかりやすく解説
福岡県に「博多市」はない?
福岡県には29の市がありますが、その中に「博多市」は存在しません。これは福岡県外の人からすると意外に感じるかもしれませんが、地元の人には常識です。
しかし、新幹線の終点は「博多駅」ですし、観光名所も「博多」という名前が多く見られます。なぜ「博多市」はないのか、その歴史的背景を紐解いていきましょう。
明治時代、「福岡市」か「博多市」かで大論争が勃発
明治22年、自治体としての「市」の創設へ
明治21年(1888年)に市制町村制が公布され、福岡も翌年から市になることが決まりました。
このとき、「市名をどうするか」で地域の人々の関心が一気に高まります。
博多部の住民:「古くから国際的にも有名な“博多”の名がふさわしい」
福岡部の住民:「黒田藩の城下町として由緒ある“福岡”の方が適切」
このように、意見は真っ二つに分かれていました。
両者の対立と博多市設立運動
緊張は日増しに高まり、博多側では「博愛会」という団体を設立して、独自に「博多市」としての独立を目指す運動まで始まります。
一方、福岡側の有志は「将来の発展のためには一体化すべき」と博多側に歩み寄りますが、博多側はこれを拒絶。
福岡県知事の決定で「福岡市」に
明治22年(1889年)3月、当時の安場保和・福岡県知事が県令第42号を発令。
「市名は福岡市、市役所の所在地は天神町とする」
これに対し、博多側の反発が爆発。翌年には「市名を博多市に改称すべし」という提案が市会に提出されます。
市会は大混乱、玄洋社も介入
市名変更の提案が出されると、議会は異様な緊張感に包まれます。
傍聴席には怒れる市民たち
玄洋社という当時の政治団体が介入し、博多市への改称に反対
議場では椅子を引かれるなど、暴力的な混乱も発生
結果、議会の採決は「13対13」の同数に。
議長の不破国雄が「博多市への改称には不同意」と判断し、改称案は否決されました。
この出来事により、「福岡市」という市名が正式に決定されたのです。
「博多駅」の名が残された理由
市名は「福岡市」となったものの、駅名は「博多駅」のままで残されました。
当時の駅が現在の博多部に位置していたこと
市名決定への“痛み分け”としての配慮
その後、1975年に開業した山陽新幹線も、終点を「博多駅」としたのはこの名残とも言えます。
福岡と博多、2つの顔を持つまち
歴史的に、
・博多:商人や職人が住む“町人文化”の町
・福岡:黒田藩の“武士文化”の城下町
まったく異なるルーツを持った2つの地域が、融合して現在の「福岡市」が形成されました。
現在も「博多祇園山笠」や「博多ラーメン」など、文化の中には“博多”の名前が色濃く残っています。
よくある質問(FAQ)
Q. 博多市は存在しますか?
A. いいえ。博多市は存在せず、「福岡市博多区」という区の一部です。
Q. なぜ新幹線の終点は博多駅なのですか?
A. 駅が博多地域に位置していたことや、博多側への配慮が理由とされています。
Q. 福岡と博多はどう違うの?
A. 歴史的に、福岡は武士の町、博多は商人の町として発展してきました。
まとめ
「博多市はなぜ存在しないのか?」という疑問には、明治時代の激しい市名論争という背景がありました。
現在の「福岡市」は、福岡部と博多部という性格の異なる町が統合されてできた都市です。
その歴史を知れば、福岡の街がより興味深く見えてくるかもしれませんね。