現在の親不孝通りの昔は「材木町」といわれ、その名前の通り黒田長政が福岡城築城の時、材木置き場としたので、その町名となっています。
町内には、現在も残る少林寺や安国寺があり、海からの外敵に備えていました。
あんみつ姫や舞鶴公園があるが北側は海でした。昭和の初めに埋め立てられ、昭和通りから浜側は喫茶店やスナックもできるにぎやかになり、那の津通りの予備校に通う浪人生が通ることから、だれがいいだしたかわかりませんが「親不孝通り」と呼ばれています。
町名改正で天神3丁目になっています。
萬町角
福岡市を横断する国道202号線(明治通り)ですが、いまの西鉄グランドホテル前でカーブを描いてる場所がありますが、これを萬町角と言いました。
明治29年(1896)のカーブの横に大名町カトリック協会が建ちました。明治43年(1910)に市内電車を開通する際に、博多電気軌道【西鉄の前身)は線路をまっすぐの通したかったので教会に立ち退きを交渉しました。
しかし、教会側は「うん」とはいわず、立ち退きを拒否、再三の話し合いも決着がつかず、そこで教会側は大物政治家でクリスチャンだった原敬(はらたかし)に相談しました。
後の総理大臣になる原敬の影響力は大きく、教会はそのまま残ることになり、鉄道の線路をそのままカーブさせることで決着したのです。
元禄3年( 1690年)ごろは各種の職人が住んでいたため萬町とついたとあり、明治22年(1889年)も戸数は27戸、人口は138人、空襲で全町焼失、戦後の区画整理で萬町中央は昭和通りに分断される(萬町地図と赤枠で表示)
昭和通りから浜側は喫茶店やスナックもできるにぎやかになり、那の津通りの予備校に通う浪人生が通ることから、誰が言い出したかわかりませんが「親不孝通り」と呼ばれています。
少林寺から、その先「あんみつ姫」があるところは、海でした。
町名改正で町の東側「少林寺」「あんみつ姫」があるところは天神3丁目、明治通り沿いの野村証券や天神頭痛クリニックがあところが2丁目です。