福岡市の断水危機:過去から学ぶ水の価値と未来への備え

出来事

福岡市は二度、大規模な断水に見舞われました。一度目は昭和53年(1978年)で、287日間続きました。二度目は平成6年(1994年)で、295日間に及び、これが最長記録です。

昭和53年の断水は、異常な少雨と高温続きにより、早くも5月に貯水量が18.7パーセントに減少しました。断水は5月20日に15時間給水で始まり、6月には給水が午後4時から午後9時の5時間に制限されました。その後も給水時間に変動はありましたが、断水は翌年の3月25日まで続きました。この長期間にわたる非常事態は、市民に大きな混乱をもたらしました。市職員だけでは対応が追いつかず、自衛隊の出動、県内外からの救援、井戸の掘削、学校や公共施設の閉鎖、節水の呼びかけなど、多くの対策が講じられました。

平成6年の断水は、8月4日から翌年の5月31日までの295日間続きました。高温少雨は5月から始まり、梅雨期にも雨が少なく、梅雨明けも例年より早かった7月1日でした。この時も断水対策本部が設置され、8月4日からは6時間給水が始まりました。秋以降も少雨傾向が続き、年間降水量は観測史上最少を記録しました。

昭和53年と比較して、平成6年の時点で人口は22万人増え、下水道の普及率も2.6倍に増加しましたが、水の需要はさらに増えていました。それにも関わらず、給水車の出動がゼロだったのは、前回の教訓から供給量の増加、下水処理利用、配水コントロールの構築、節水意識の啓発などに力が入れられたからです。今では、福岡市は節水都市として評価されていますが、油断は禁物です。

大渇水の記憶が薄れつつある今、地球温暖化や人口集中の進行により、より一層の注意と準備が必要です。

歴史発見

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福岡県各地を歩いて歴史の一歩奥へ掘り下げて史実なりを紹介しています。歴史に興味があって始めた仕事も気が付けばかなりの年数が経っており、それならとブログや動画にして、後世の何らかの役に立てればと厚かましくも思っています。

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