戦国時代から江戸初期にかけて、博多の発展を支えた三人の豪商がいました。
その名も「博多豪商三傑」──島井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)・大賀宗九(おおがそうきゅう)。
この三人は、単なるお金持ちではありません。戦国武将や茶人との交遊を通じて、貿易・金融・文化の発展に大きな足跡を残した人物たちです。
島井宗室(1539〜1615)──信長とも面会した「武人肌の商人」
島井宗室は、京都や博多を舞台に活躍した武闘派商人。
寧波の乱後、日朝貿易の変化を読み取り、早くから海外貿易に乗り出し、財を築きました。
特筆すべきは、大友宗麟に軍資金を貸し、貿易独占権を獲得していた点。のちに織田信長に謁見し、豊臣秀吉にも茶人として重用されました。
彼が寄進したという空海筆の「千字文」は、いまも東長寺に伝わっています。
✨ 豆知識:宗室の家は「島井流」という茶道を伝え、商人でありながら文化人としても高い評価を受けました。
神屋宗湛(1551〜1635)──博多復興を支えた文化人
神屋宗湛は、石見銀山ゆかりの出自で、幼少期は唐津で過ごしたと言われています。
信長の安土城を訪れた際、本能寺の変の報を聞いて脱出し、狩野派の絵画を持ち帰った逸話も。
秀吉からは「筑紫の坊主」とあだ名されるほど気に入られ、朝鮮出兵の兵站を担当するなど、博多復興にも貢献しました。
その生涯は茶会記(宗湛日記)としても残されており、当時の文化と政治の関係を知る貴重な記録です。
大賀宗九(1561〜1630)──黒田家の御用商人となった武器商人
大賀宗九は、もともと中津の商人でしたが、黒田長政の筑前移封とともに博多へ進出します。
鉄砲をはじめとした武器や軍需品の取引に関わり、黒田家の御用商人となりました。
特に、東南アジアとの交易において活躍し、莫大な富を築いたと伝えられています。
長政から知行地を与えられるほどの功績を認められながらも、それを辞退し「商人の道」を貫いたという逸話が残ります。
動画で見る博多豪商人3傑の人物像
三傑が歩いた足跡は今も残る
現在、三人の足跡は福岡市内に多く残されています。
島井宗室邸跡の「博多塀」(楽水園そば)
神屋宗湛の墓(妙楽寺)と屋敷跡
大賀宗九の墓(聖福寺境内)と「大賀格式」
これらの史跡を訪ねると、博多という町が、単なる「港町」ではなく、「武・商・文」を融合させた都市だったことが見えてきます。
商人から学ぶ、現代への教訓
豪商三傑に共通しているのは、時代の変化を読み取り、
「勝ち続ける」よりも「負けない」商いを貫いたこと。
特に島井宗室の残した「商訓17カ条」は、現代の経営者にとっても参考になる“逆境に強いマインドセット”が詰まっています。