光雲(てるも)神社は藩祖黒田如水の龍光院と初代藩主・長政の興雲院という二人の法号から1字ずつとってつけられました。
明和5年(1768年)6代藩主継高(つぐたか)が、福岡城本丸に社殿を立てたのが始まりで後に、西公園の現在地に移転しました。
昭和20年(1945年)の福岡大空襲で焼失し、現在の社殿は昭和41年(1966年)に再建されました。
光雲神社の境内にある歴史遺産を紹介ます
まず、拝殿の正面には左右に狛犬があります。
この狛犬はお互いを見ることなく、そっぽを向いていますが、実はコレ公園下の福岡に住む人々を守る意味があるそうです。
建立者は、貴族院議員だった麻生 太吉(あそう たきち)です。麻生グループの創始者でもあり大金持ちだった人です。現在、副総理の麻生太郎さんのお爺さんです。どうして麻生さんが、ここに寄付したかわかりませんが、当時のお金持ちの人は、神社に大きな鳥居や、大きな銅像、狛犬を寄付するのが、お金持ちのステータスでもあったわけです。
そういう、見栄もあって寄付したのでしょう」と勝手に思っています。
それにしても、この狛犬は犬というより獅子みたいな厳格な表情していますよね。
そして、拝殿の天井を見上げると雄と雌の丹頂鶴が描かれています。
これは福岡城が舞鶴城といわれていたことから、鶴の絵が描かれたそうです。
この天井絵は、長年にわたり博多どんたくの笠鉾の絵も描くなど、福博の文化界に大きく貢献した福岡出身の日本画家である木原信画伯が描いたものでお賽銭箱にお賽銭を入れると鶴が泣いてくれます
「光る雲」と書いて光雲神社(てるもじんじゃ)読みますが、別の読み方は「こううん」なので、ご利益もありますと宮司さんが教えてくれました(笑
この他、境内には長政の水牛の兜像や名槍日本号を飲みとりした有名な黒田武士・母里太兵衛の像があります。
母里太兵衛が拝殿の方を向いているのは、この神社を守る意味合いからだそうです。
拝殿右に「荒津神社」はあります。
そもそも、この荒津神社から始まったのが西公園の歴史です。
その右には、中司孫太郎(なかつかさそんたろう)稲荷神社があります。
案内板を要約すれば「五穀豊穣海運の神としては勿論、水産・航海・農工商の隆昌・安産・又家内安全・交通安全・学業上達の守り神として多くの人々の知るところであります」とあります。
なるほど、だからこれだけ大量の鳥居と末社が置かれているのかと納得しました。
境内には第51代横綱横綱玉ノ海屋大関栃光の手形が入った力石もあります。
神社のすぐ上が荒津山の頂上になり中央展望広場から、福岡市内、博多湾、志賀島を一望できます。