西新の現在の町並みを見ていると、その歴史の奥深さに驚かされます。実は、現在の百道3丁目付近には、福岡藩の砲術訓練所が存在していました。そして、明治10年(1877)には砲術訓練所が拡張され、陸軍の射撃訓練所が建設されました。この射撃場は、今の西新小学校から百道小学校、百道中学校へ続く、南北幅約91メートル、東西長さ1キロメートルに及ぶ細長いエリアに広がっていました。
しかし、射撃場の老朽化と宅地開発の進展により、射撃場は中央区平和に移転し、国有地は民間に払い下げられ、昭和時代に入ってからは県営住宅や公的機関の職員住宅などに転用されました。
現在でも射撃場跡の一帯を歩けば、整備された道と街区が広がっており、当時の射撃場の面影を垣間見ることができます。ここに陸軍の射撃場があったことは、今では想像もつかないかもしれません。
また、射撃場が移転した跡地には、大正15年(1926)に当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの真っ白い校舎が建てられ、西新小学校が新築・移転されました。
当時、海岸が近くにあったため、生徒たちは水泳や松露拾い、地曳網漁の手伝いなどを楽しみ、クロマツによって形成された百道の浜辺を満喫していました。西新の歴史に触れると、この地域の多彩な過去と文化に感銘を受けることでしょう。