博多芸者と九大医学生が同棲していた旭小路(千代4丁目)を歩いた

町の歴史散歩

昭和23年(1948年)の福岡市街地図を見ていたら、九州大学医学部付属病院の裏に旭小路という記載がある。
昭和23年千代4丁目

現在地はどうなんだろうとグーグルマップで調べてみると、どうも博多区千代4丁目23~27にかけてらしい。千代3丁目翠月楼跡の加藤外科偶然だが、博多風俗夜話(昭和52年発行)に千代の水茶屋のことが書かれており、そこに当時、繁盛していた茶屋の翠月楼が紹介されており、廃業後には、建物をそのまま残し加藤外科が開業している写真があった。
とても興味があったので、この加藤外科が現在あるのかどうか調べてみると、千代4丁目に加藤神経クリニックが存在するのだが、水茶屋が存在していたのは千代2丁目、3丁目なんだが、果たしてここがその翠月楼跡かどうか疑問で、ほかに加藤と名の付く病院はないのか調べてみると、2012年に昭文社が発行した地図に千代3丁目1に加藤外科の表記があった。
加藤外科千代3丁目
現在のマルショクの前あたりがそうだが、残念ながら加藤外科はすでに廃業したか移転しており、その翠月楼の跡かたはまったくなかった。
その旭小路だけど、現地に行くことにした。

旭小路を歩いてみた

旭小路
3号線の千鳥橋病院信号から直進していくと、旭小路だがそこは車での進入禁止(県道21号線からの一方通行で)になっており、近くの駐車場に入れて歩くことにした。
車1台が通れるくらい道幅は昔のままで狭い。

歩いていくと右側一帯は昭和風情が漂う建物が並んでいる。
どうしてこの通りが旭小路と呼ばれていたのが、色々な資料を探しても皆目わからずじまい。
旭小路

建物を見ながら勝手な想像をしてみた。
建物の作りからして、おそらく九大医生たちが利用していた下宿、アパートが多く建ち並んでいたと思う。
千代4丁目旭小路

銭湯・大徳湯が現在も開業している。
千代4丁目大徳湯
この銭湯にも学生や近所の人が利用していたのだろう。
原油価格の高騰なので、維持できずに廃業していく銭湯があるが、がんばって続けて欲しいですね。

千代4丁目7区の掲示板。見ると昭和59年6月に設置したとある。
どうです、このサビ感。
千代4丁目掲示板
現存しているお店もあるがほとんど廃業している。そういえば大学通りに八仙閣があったなぁ。
千代2丁目~3丁目に水茶屋があったころ、芸者と九大医学生が同棲していたアパートが建ち並ぶ場所でもある旭小路。昭和59年に設置された掲示板のサビ感が歴史を感じる。

ゴンちゃん

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はじめまして、福岡の歴史を探訪・発信している「ゴンちゃん」です。 福岡市を拠点に、博多や筑豊、北九州、糸島など県内各地を実際に歩いて取材し、歴史の現場を動画や記事でご紹介しています。 鎌倉時代の元寇や戦国武将の足跡、昭和レトロな商店街の面影まで――「ガイドブックに載っていない福岡の物語」を、YouTubeチャンネルと連動してお届けします。 地元の方も、福岡出身の方も、観光で訪れる方も、福岡の歴史に少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです!

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