ちょっと進むと「馬出バス停」の信号が見えます。
ここは懐かしい、福岡市内線貫通線の路面電車の専用軌道区間(千代町ー箱崎間)でした。
このバス停が馬出電停でした
馬出路面電車の今昔
現在はバス専用道路になっており、馬出電停の看板は馬出通りバス停に代わっています。
電停跡の安全地帯がそのままバス停として活用されており、電車が通った路肩を歩いていいると当時の様子がわかる西鉄の車輪マークが入った石柱(せきちゅう)が間隔開けて立っています。
当時も建っていたと思われるピンク色に塗装されたアパートから、どんな電車風景が見られたのでしょうかね
いや~懐かしい
国登録有形文化財(建造物)箱嶋家住宅
馬出バス停から目と鼻の先に、さきほど紹介した曲物の柴田徳商店があります。
店内には人気のお弁当箱以外にも多数の商品を見ることができるし、気に入ったものがあればショッピングできますよ。
博多曲物は博多区冷泉町(れいぜんまち)の博多町家ふるさと館に展示されているほか、毎週木曜の午前10時~正午と午後2~4時の2回、実演もあっているので、興味ある方は見学に行かれてください。
柴田徳商店から、少し先の右側に 国登録有形文化財(建造物)箱嶋家住宅があります。
明治5年(1872年)に建築された町家でが現存しています。
木造2階建で、正面の1階および2階には出窓みたいな出格子(で‐ごうし)が設けられており、1階は間口3間半(6.7メートル)、奥行き6間半(23メートル)のほそ長い造りで、中央に戸口(ここう)が開いています。
内部は、入口から奥まで続く土間(通路)を通し、土間に面して座敷3室が1列に並ぶ伝統的な間取りをとどめており、
通り庭には家の守り神である荒神様が祀られています。
左側には天窓とベンガラ漆塗り欄干がある吹き抜け「中の間」が並びます。
歴史に残る数少ない貴重な町屋としてのたたずまいをみせています。
現在、所有者が代わっており、見学もできないのですが、できればこのまま保存してもらい、見学も再開できればと願っています。
横の八木病院から再来軒の斜め前の路地を抜けて、折箱製造卸の柴田惣商店を通って、道路を渡っていくと、これみてください
馬出の歴史を見てきた電柱
この電柱のサビ感、何ともいえない風格があると思いません?
この電柱も、何十年と夜の馬出一帯を明るく照らし続けてくれている産業遺産みたいなものです。
今の天神は、もうこんな電柱をみることができませんね~
枯野塚
そして、この路地を通り道路を隔てた先に、枯野塚(かれのづか)という電柱が見えます。
その電柱の前の細い路地の先になんと、松尾芭蕉を追慕(ついぼ)する墓碑(ぼひ)としては、全国的にみて最も古い部類に属し、俳譜(はいかい)史上価値が高いことから、県の史跡に指定された枯野塚(かれのづか)があります。
元禄12年(1699年)、郷土(箱崎出身)の俳人哺川(ほせん)は、博多に滞在していた松尾芭蕉の高弟・向井(むかい)去来(きょらい)から、
松尾芭蕉辞世(じせい)の句
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」を贈られました。
哺川は、この好意に深く感激し、折から博多に来た同じ芭蕉の高弟・志太 野坡(しだ やば)に「芭蕉翁の墓」の碑名(ひめい)の揮毫(きごう)を願い、元禄13年(1700)この枯野塚を建立しました。
う~む、馬出って他只物ではないって感じですか(笑う