須崎公園の昔は大砲お台場だった!?

中央区

現在工事中の須崎公園があるエリアは須崎裏町といわれ、幕末の攘夷運動(じょういうんどう)が盛んなころ、黒船の来襲を防ぐため台場を築き大砲を置いていましたが、まったく使用する必要もなく、明治維新を迎えました。

このお台場前の広場に明治4年に福岡監獄所ができて、大正2年に藤崎へ移り、現在(現在の粕屋郡宇美町に移転しています。


その使用されなかった大砲ですが、なんと正午を知らせるために「ドド~ん」とぶっぱなしていたそうです。うるさいということになって西公園下に移されました。(下図)

そして、明治35年このお台場跡地に日本赤十字社福岡支部がが建ち、明治44年に博多軌道電車がこの町を横断して交通が便利になり、監獄所移転跡の広場は博覧会、大相撲、サーカスのイベント広場としてにぎわい、大正12年に福岡女子専門学校(現在の福岡女子大学※写真あり)が開校しました。

空襲で全町が焼失し、戦後は応急簡易住宅やバラック小屋が建設されて、朝鮮人や大陸引揚者たちの居住地にもなっていました。

簡易住宅が撤去されたあとは、須崎公園となり、昭和38年に福岡市民会館、39年に福岡県文化会館が開設。
野外音楽でもできて、チューリップや武田鉄矢などがコンサートを行っていました。懐かしいですね(笑

町名改正で天神5丁目となりました。
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歴史発見

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福岡県各地を歩いて歴史の一歩奥へ掘り下げて史実なりを紹介しています。歴史に興味があって始めた仕事も気が付けばかなりの年数が経っており、それならとブログや動画にして、後世の何らかの役に立てればと厚かましくも思っています。

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