油山

南区

ついこの間まで、福岡市内でカップルが夜景を楽しむデートスポットだった油山のイメージが年々健全なものに整備されています。搾りたての牛乳やアイスクリームが味わえたり、乳しぼり体験やバーベキューができたりする「もーもらんど油山牧場」や、キャンプ場や草スキー場などもある油山市民の森として、土日ともなれば家族ずれで賑わっています。

油山は標高592mで、聖武帝((しょうむてい)の701年の頃に(インド)から渡来したが清賀(せいが)という僧がこの山に住み、ゴマを作り、油を絞って怡土郡(いとぐん)現在の福岡市西区、早良区、糸島の一部の5つの寺に贈ったので油山の名があります。

西油山に天福時、東油山に泉福寺という2つの禅寺があって、ともに360もの僧侶が暮らす小さな住居になる僧坊がありました。

そこへ背振山(せぶりやま)で修業中の少年があやまちを冒して油山の天福時に逃げ込んできました。その少年を油山がかくまって引き渡さなかったので、怒った背振山の僧たちが、天福時の僧坊を焼き討ちにしたのです。

今度はこれに怒った天福時の僧たちが背振山(せぶりやま)に押しかけ、300区の僧坊を残らず焼いてしまったという歴史が残っています。泉福寺の開山は博多区の承天寺を開いた聖一国師の4代法孫にあたる平田慈均(へいでんじきん)和尚です。

しかし、泉福寺もいつの間にか滅びてしまい、元禄7年(1694)に承天寺の住職大川禅師により再建され、志賀島の廃寺・正覚寺の名を借りて寺号としました。

油山観音(城南区東油山)で知られる聖観音坐像(しょうかんのんざぞう)は、平安時代の作で国指定の重要文化財になっています。境内入り口に立つ新羅式石門は、黒田忠之(二代藩主)建立の楼門(ろうもん)の跡に明治23年(1890)に立てられた門で、古代朝鮮から伝来した石門作りの技法で建立されたものという。

油山の懐に抱かれた境内は、晩秋頃には、境内の楓や大銀杏の紅葉が美しいようです。

油山穴観音は油山市民の森へ行く沿道沿いにあります

また、昭和20年(1945年)8月10日、現市営火葬場近くの雑木林で、旧日本軍人が米軍捕虜のB-29搭乗員8名を斬首する事件が起きました。

油山事件として扱われ関与した日本人兵士達は戦後BC級戦犯として処罰され、後に阿部源蔵(第24代福岡市長)が慰霊碑を建立しています。

歴史発見

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福岡県各地を歩いて歴史の一歩奥へ掘り下げて史実なりを紹介しています。歴史に興味があって始めた仕事も気が付けばかなりの年数が経っており、それならとブログや動画にして、後世の何らかの役に立てればと厚かましくも思っています。

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