福岡市南区の中世~戦国期~江戸期

南区

天気の良い日には福岡市を一望できる閑静な住宅地でもある柏原。
柏原という地名がはじめて史料に登場するのは、南北朝時代になってのことで、このころには柏原村があったようです。

樋井川上流になるこの付近の標高は40mから高いところで80mですが、宅地化される前の地図を見れば、山間部でした

宅地化された昭和50年代に兵領地から旧石器時代の道具や。6000年から1万年前の市内で最古の縄文時代の集落跡が見つかりました。
現在の柏原3丁目にある大牟田古墳群は、6世紀後半から8世紀まで継続した集落があったようで多数の円墳と製鉄跡があり、馬具や刀剣等が出土しています。
この他にも柏原エリアは江戸時代には福岡藩の火薬工場があったことも史料に記されています。このように柏原地区は歴史遺産が多くある町として、学界の研究にも注目されています。

曰佐地区

三宅小学校の近くにある三宅若八幡には、この三宅氏の氏寺だった柱の礎石が発掘されており、拝殿前に向かて右側にある手洗石に転用されたといわれています。
南の端の那珂川に近い曰佐地区は、「和妙抄」によれば那珂郡曰佐郷(つまり那珂郡曰佐村)とあります。

曰佐とは通訳の意味ですが、新撰姓氏録という、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑によれば、曰佐氏は朝鮮半島からやってきた渡来人とあり、当時の人々はこれを「訳する」の訳を使い「訳氏(おさし)」と称したとあります。

曰佐という地名からすると、ここには朝鮮半島からの渡来人訳氏が居住していたことから曰佐という地名になったと考えられています。

なお、先の柏原遺跡から唐三彩や中国越州窯青磁器、壺やかめなどの土師器などが出土し、古代の役所や官庁の性格を持つ官衙的な建物が存在していたとも考えられています。

南区の中世時代

鎌倉時代中期の1274年・1281年に二度にわたる蒙古襲来の後、鎌倉幕府は戦功のあった御家人たちにご褒美となる恩賞地を与えました。

その中には、柏原、桧原、屋形原などが含まれています。
わかりやすいところでは、肥前の龍造寺氏、肥後の阿蘇氏、薩摩の渋谷致重の子孫たちは、現在の柏原となる筑前国早良郡比伊郷に屋敷や田畑を与えており、渋谷致重の子孫になる渋谷有重に与えられた屋敷や土地の一部が柏原で発掘されています。

また13世紀には阿蘇氏が比伊郷(現・柏原)の領主となって以来、15世紀の室町時代までの間に阿蘇氏所領のお守り神として、祈りや願いを捧げたといわれる阿蘇神社が城南区・片江2丁目にあります。

野間、高宮、平原は東区の筥崎宮の領土でしたが、鎌倉時代に活躍した中国商人・謝国明がこれを買い取って博多区の承天寺に寄進したといわれています。

戦国初期には、野間、高宮、平原の百姓たちが承天寺に年貢を納めなかったので、承天寺は大内氏の筑前守護代・杉興長(すぎおきなが)を頼って、年貢を確保しようとしました。天文21年(1552)9月、大内 義長がこれらの寺の領地を承天寺へ譲って年貢の代わりとしたのです。

南区の戦国期

戦国期(1467年~1590)になると多くの土地が戦国大名が服従者に、分け与える知行地となり、文明10年(1478)10月、時の権力者で室町時代の守護大名・大内政弘は山道兼久に屋形原を与え、太宰府にあった岩屋城の任務を命じています。

屋形原は岩屋城の家来全部の生活を支える経済基盤となったのです。

また、五十川村や井尻村、三宅村も同様に大内氏の知行地とされており、これらの村は筥崎宮や聖福寺の寺領とされた。

南区の江戸期

1603年から1868年の江戸期においては南区内の村々は、江戸幕府の命で天保年間に作成された郡別の村々の生産高が記載されている「天保郷帳(てんぽうごうちょう)」によれば、那珂郡野間、若久、屋形原、中尾、和田、野多目、老司、上警固、弥永、東郷、横手、井尻、上曰佐、下曰佐、早良郡柏原の15か村からなり、那珂郡平尾、高宮、五十川、諸岡、平原、三宅、塩原、清水、春吉、住吉、早良郡上長尾、檜原の各一部も南区の区域とされていました。

以上の区域はいずれも兵陵が重なった複雑な地形をしていた農村と記され、鴻巣山(こうのすやま)や油山があって、平地が少ない区域でした。

鴻巣山(こうのすやま)は、現在の福岡市南区長丘と福岡市中央区小笹の境に位置する、標高100.4mの山で、かつてはFBS福岡放送・TVQ九州放送のアナログテレビ本局並びにNHK福岡放送局の小笹テレビ中継局も設置され、鉄塔はこの4局で共用していた。アナログ放送停波に伴い、2011年7月25日以降、テレビ局のアンテナが順次撤去された。この鉄塔は西鉄電車からも見えていましたよね。

歴史発見

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福岡県各地を歩いて歴史の一歩奥へ掘り下げて史実なりを紹介しています。歴史に興味があって始めた仕事も気が付けばかなりの年数が経っており、それならとブログや動画にして、後世の何らかの役に立てればと厚かましくも思っています。

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