福岡市南区の歴史

南区

さあ、皆さん!今日は、緑豊かな油山を背景に、人口132,381人(2023.3.21現在)が暮らす、魅力たっぷりの福岡市南区の歴史と現在を楽しく深掘りしていきましょう!

「福岡市南区?聞いたことあるけど…」って思っているあなた!福岡自動車運転免許試験場がある花畑地区を知っているかもしれませんね。そう、あの試験場でペーパードライバー卒業を目指した人も多いはず。実は、この南区、1972年の4月1日に福岡市の区制施行と共に誕生したんですよ。

福岡市のちょうど中央に位置する南区は、北西に中央区、北東に博多区、そして南には春日市や那珂川市といった隣接する区や市に囲まれた、まさに福岡の心臓部。海に面していないのが特徴で、その代わりに豊かな自然と、昔ながらの農業地帯が宅地化していく様子を見守ってきました。

かつては、土地が肥沃で作物がよくできる農業地帯だった南区。しかし今では、サラリーマンのベッドタウンとして、また学問の街としても知られるようになりました。国立九州芸術工科大学や福岡女学院、第一薬科大学など、名門校がひしめく文教地区。知の発信地としても、南区は大きな役割を担っているんです。

そして、南区の中心と言えば、大橋地区。ここには区役所や西鉄天神大牟田線の大橋駅があり、商業の中心地として賑わいを見せています。お菓子で有名なひょこや、高級スーパーのボンラパス、九州電工、青汁のやずやなど、福岡市民にはお馴染みの企業の本社もここに構えているんですよ。

南区出身の有名人

南区出身の有名人には伊佐山ひろ子 – 女優
上野由岐子 – ソフトボール選手
甲斐よしひろ – 甲斐バンドの
佐々木健介 – プロレスラー
鹿谷 弥生(しかたに やよい) – 歌手、タレント、アイドル
新庄剛志 – 元プロ野球選手、北海道日本ハムファイターズ監督
タモリ – タレント、司会者
氷川きよし – 演歌歌手
森口博子 – 歌手、タレント
たちがいます。

遺跡や遺物が多い

そして、驚くなかれ、この南区には原始時代からの歴史が息づいています。そう、この地域がただの住宅街や学園街ではない、もっと深い歴史を持っていることを示す遺跡や遺物が、今もなお発掘されているんですよ。

特に、地元市民にとってのオアシス、油山の中腹からふもとに広がる柏原遺跡。ここからは、縄文時代早期の土器をはじめとする貴重な遺物が見つかっているんです。これらの発見から、この地域に人が住み、生活を営んでいた歴史が、はるか古代に遡ることが明らかになりました。

想像してみてください。何千年も前、今私たちが日常を送るこの地で、縄文時代の人々が暮らし、自然と共生しながら日々を過ごしていたんですから、なんだかロマンを感じませんか?現代の喧騒を離れ、一歩足を踏み入れると、時間を超えた旅に出るような、不思議な感覚に包まれるかもしれません。

大平寺古墳群


次にご紹介するのは、柏原地区、現在の大平寺二丁目にある、大平寺古墳群です。この古墳群は、6世紀後半から7世紀(西暦700年頃)にかけて築造されたもので、現在4基が残っています。特に注目すべきは、6号墳。地元では「大平寺穴観音」と呼ばれ、全長6メートルの横穴式石室(上図)が今もその姿を留めているんです。

ここでちょっとした冒険をしてみたんです。私も実際にその石室に入ってみましたよ。内部は湿気でジメジメしているかと思いきや、意外や意外、カラカラに乾燥していました。そこには2体の石仏が祀られており、地元の人々によってきれいに清掃され、お供え物も新しく、石組みもしっかりとしていました。この古墳群が地元の方々に大切にされていることが伝わってきます。

ただし、他の古墳は残りが少なく、その理由として、福岡城の築城時にその石垣に転用された可能性があるそうです。つまり、福岡城の石垣を見るたびに、私たちは実はかなりの歴史遺産の前を通り過ぎているわけです。面白いですよね、歴史って。ふとした瞬間に、千年以上も前の人々と繋がっている感覚に陥ることがあります。

これで、福岡市南区の旅は一段落。でも、歴史の旅はここで終わりじゃない。あなたが次に福岡城の石垣を見るとき、その下に眠る古墳の石たちが語る長い歴史を思い出してみてください。そして、一見何気ないこの地が、どれだけ多くの物語を秘めているか、その豊かさを改めて感じてみてください。歴史の魅力、ぜひ体感してみてはいかがでしょうか。

埴安神社

埴安神社
神殿の建築は、特に注目に値します。なんと、四十塚山(しじゅうつかやま)の御影石を使った一枚岩で壁や屋根が張られているのです。この御影石は、福岡藩初代藩主である黒田長政が江戸幕府に献上したものと同じ石材だと言われています。つまり、この神社には、ただでさえ深い歴史的背景がある上に、その建造物自体が特別な歴史的価値を持っているのです。

この神社が農家の守護神であり、安産の神として信仰されていることは、この地域の人々が土地と自然、そして生命のサイクルを大切にしてきた証でもあります。四季折々の恵みを受け、それを守り育てることの大切さを、埴安神社は今に伝えています。

埴安神社を訪れることは、ただの観光ではなく、この地域の深い歴史と文化、人々の生活と信仰に触れる機会です。この神社の静寂の中で、何世紀もの時を超えて受け継がれてきた信仰と、その背景にある人々の暮らしや思いを、ぜひ感じ取ってみてください。

国史跡指定の老司古墳

老司古墳
国の史跡に指定されている老司古墳があります。この古墳は、全長約75メートルの前方後円墳で、5世紀に造られたとされています。特徴的なのは、埴輪や家の玄関口、庭先などに敷き詰められた葺石(ふきいし)が見られること、そして4基の竪穴式石室が存在していることです。福岡平野を支配した権力者の墓と言われており、その中からは三角縁神獣鏡をはじめとする鏡10面や、勾玉、管玉などの装身具、そして短い鎧などの武具が出土しています。

では、なぜこのような歴史的に価値のある場所に少年院が建てられたのでしょうか。その理由は、少年院が建設された1938年(昭和13年)当時、周囲が山ややぶ畑に囲まれていたからです。つまり、現在のような住宅地ではなかったんですね。院内には古墳があることを示唆する盗掘孔があったため、その存在自体は知られていましたが、この古墳が大型の前方後円墳であることが明らかになったのは戦後のこと。少年院の拡張作業中に藪を撤去していくうちに、「古式古墳の特徴を持つ大型前方後円墳」として、研究者の注目を集めるようになったのです。
老司古墳
残念ながら、古墳自体は立ち入り禁止となっていますが、道路から見ることができる標識があり、金網越しにその墳丘を眺めることができます。このようにして、古墳の存在を知ることができるのです。

老司古墳の話を聞くと、福岡市南区が単なる現代の住宅地や学園街だけでなく、古代からの歴史が息づいている地であることを改めて実感します。過去と現在が交錯するこの地で、古代の人々が残した遺跡を通じて、歴史の一端に触れることができるのです。これもまた、福岡市南区を訪れる魅力の一つと言えるでしょう。

南区の歴史を動画にしました

歴史発見

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福岡県各地を歩いて歴史の一歩奥へ掘り下げて史実なりを紹介しています。歴史に興味があって始めた仕事も気が付けばかなりの年数が経っており、それならとブログや動画にして、後世の何らかの役に立てればと厚かましくも思っています。

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