福岡市博多区千代の歴史を深堀りしました。
昔の千代を知る人の中には、「ガラが悪い」「あそこに行っちゃいかんばい」と何やら物騒な町のイメージをお持ちの方もいるようですが、本当にそうでしょうか?
博多には色々な町がありますが、千代の歴史を知れば知るほど「柄が悪い町から」「行ってみたい町」に心変わりするかも知れません。
昔の千代の風景
千代は、現在では地図のように、石堂川(御笠川ともいいますが、この動画では昔の地図にそって石堂川に統一します)河口から千鳥橋交差点、さらに石堂川沿いの国道3号線を東に進み、妙見口までの一帯を合わせると、鳥のような地形になっていますが、昔はちょっと違っていました。
江戸時代は、この石堂川の北河口から、筥崎宮一帯にかけて、浜辺約2キロにわたり、鬱蒼(うっそう)とした松林が続いていました。
この松林は筥崎宮の応仁天皇ゆかりの聖なる神木(しんぼく)として大切に保存され、中世には大内氏など、時の支配者によって、度々伐採の禁制が出され、保護されてきました。
日本国内のみならず、朝鮮や中国などの記録にも「十里松」の名称で知られ、また歌人たちにより、名所「千代の松原」として詠まれてきました。
千代の歴史を動画で解説していますので、ご興味ございましたら、ぜひご視聴ください。