天神パルコの斜め前、福岡証券ビルがあります。
大正11年に筑豊の炭鉱成金・伊藤伝衛門の別荘、赤銅(あかがね)御殿を建てたのがここです。
大正3代美人といわれた妻の柳原白蓮がこの御殿に滞在し、福岡市で誰も乗っていなかった外車に初めて乗ったのも白蓮といわれています。
白蓮はマイカーで天神から筥崎宮のある大学通りを走り多々良川の畔で遊んでいました。
その後、白蓮は社会運動家の宮崎龍介と駈け落ちして福岡を去っていくのですが、この話をしだすと結構長くなるので、別の機会にするとして、この御殿は昭和2年に漏電による火事で焼失しました。
その御殿の残骸である赤煉瓦が昭和通りのタリーズ裏の伊藤ビルに一部残っています。(上記画像)
赤銅(あかがね)御殿の跡地には博多株式取引所(福岡証券取引所)が昭和9年にでき、昭和11年1月7日に岩田屋が開店してから都心らしい様相を整えだしたが、空襲で瓦礫の町となった。
復興はめざましく、昭和30年頃からビルラッシュで高層建築が林立し、地下街もできてたちまり福岡の都心となった。
町名改正で、交差点を境に、天神1丁目、西は2丁目となった。
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