博多のミステリー空誉上人が釜茹での刑にされた天神中央公園

中央区

大浜に(現・大博町)にあった処刑場で処刑された人を哀れんで空誉上人が供養したのを2代藩主・黒田忠之が、自分が罪人として処刑したものを供養する事に腹を立て、空誉上人を現在の天神中央公園の場所で釜茹での刑にしています。天神公園に処刑場跡の碑がひっそり立っていますが、それから300年も空誉上人の祟りは県知事に及んだようですが、これも博多では珍しい幽霊話です。
ちなみに大浜にあった処刑場近くには柳町遊郭ができて、その後は今の清川2~3丁目に移転しています。

空誉上人が釜茹での刑にされた跡地


忠之は釜茹でのさいには石川五右衛門をと同じ釜にすると言い出したのですが、実際に人を茹でるような大きな窯はなくて、どこかに作らせることになったのです。
最初は遠賀郡の芦屋釜で作らせようとしますが、釜師たちは、ここはお茶の釜を作る所で、そんな物を作ったらバチがあたると言って断っています。
結局、あちらこちらをあたって釜はつくる事ができたそうですが、今度は釜茹でするため石川五右衛門のように菜種油を使おうということになったが、大量の菜種油の調達はもったいないとい事になり、結局は空焚きにしたそうですから、なんとも残忍な事です。

それから時は過ぎ空誉上人が釜茹での刑にされた跡地は福岡県知事公舎になりました。
それまで福岡城内に置かれていた県庁舎が明治9年に現在のアクロス福岡の場所に新築移転します。

その時に現在の天神中央公園になる地に知事公舎も新築されました。
明治9年の知事は、このとき第5代渡辺清ですから、この知事の代から夜中になるとうなされるようになったとか。
これは空誉上人の祟りがでると噂れるようになりました。
昭和の初め第23代大塚 惟精(おおつか いせい)知事の時代には県庁舎の中庭に供養塔が造られ祀られることになりました。
それ以後、県知事はうなされなくなったそうです。

当時この場所は「肥前掘り」があって、早い話川沿いの土手だったこの地で空誉上人が処刑され死骸はそのまま放置されたそうですから、空誉上人の無念が怨念となって知事を悩ましたのでしょうか?

浄念寺に空誉上人を祀っています

現在の大手門にある浄念寺に空誉上人を祀る空誉堂があります。
また空誉上人は福岡藩重臣である後藤又兵衛の身代わりになって、2代藩主・黒田忠之によって処刑されたという説もありますが、諸説色々あるのが歴史の面白さですね。

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福岡県各地を歩いて歴史の一歩奥へ掘り下げて史実なりを紹介しています。歴史に興味があって始めた仕事も気が付けばかなりの年数が経っており、それならとブログや動画にして、後世の何らかの役に立てればと厚かましくも思っています。

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