博多には時代背景を映し出す珍しい名前の橋がいくつか架けられています。櫛田神社の博多歴史館側から川端通り商店街を突き抜け直進し博多川を渡る時に架かっている橋が水車橋。
江戸時代、新川端町下から中洲に渡る仮橋はあまりに危険だったので奉行は文久3年(1738)に新川端上、今熊町、社家町、瓦町、祇園町下の作人(中洲で野菜を作っていた人)に、古板や丸太などを与えて補填させました。
この橋から武士たちが郊外に猟に出かけるので「御出野橋」といわれ、寛延(かんえん)2年(1749)の架け替え記録には、「御猟橋」となっています。
宝暦4年(1754)に鰯町の油屋市衛門という人が、この橋に水車小屋を建ててから水車橋というようになりました。
明治30年(1897)木橋から石橋に架け替えるとき、石材の転落で死者3名、重傷2名を出しますが6月に完成。
現在の水車橋は昭和45年(1970)12月の架設で中洲側から二股橋となっています。