博多釜屋町(現・奈良屋町)の中央西側にあった小劇場「相生座」。東中洲が博多の歓楽街として年々発展していくのとは反対に博多浜部の花街相生町が次第に寂れて行っており、なんかと挽回したいっと相生券番と料理屋、置屋の人たちが共同出資して、明治43年(1910)5月に建てられたのが木造2階建ての相生座。
相生座は芸妓の演舞場とするのが目的だったので、同年6月に落成式を行い、こけら落としには相生芸妓総出演の「筑紫踊り」で開場。
温習会に使用するほかは、子ども芝居、浪花節芝居、博多にわか、琵琶大会など開園され一時は賑わった。
大正になって活動写真(無声映画)がよく上映されたが、劇場としての規模は歌舞伎などの大物の上演ができないために、年々維持も困難となり、結局相生券番事務所がここに移り、時々、温習会の会場となるも空襲で焼失し、その後再建されなかった。
※画像は奈良屋町の大同庵跡地